「可愛いね」のカードゲーム
「可愛いね」はワイルドカードだ。
ここぞというときまで大事にしたい派*1と、いけいけどんどん使ってしまえ派と、ただ素直に「あ、今だ~」と思うから使う派と、性格次第で使いどころが違う。
けれど、ワイルドカード「可愛いね」が上の句として読み上げられたとき、皆一様に急いで「そんなことないよ」の下の句札を取りに行く。
なぜならそれは本心だったり謙遜だったり、恥ずかしさからだったり、もしくは「そんなことないよ」の札を取っていないと「アイツ自分のこと可愛いと思ってる」トラップカードが発動するのではと先を読んだ末だったりもする。
若い頃*2は、みんなと同じカードゲームを遊ぶには、上の句「可愛いね」には下の句「そんなことない」が続くルールが世界共通だと、勝手に信じ切っていた。
だからきっと、「可愛いね」は、化けの皮を剥がすと時に呪詛札だ。
こんな高度な心理戦を伴うミクスチャーカードゲーム、誰か早く焼き払ってほしい。
特に世界の狭い思春期*3に「可愛い」は呪いだ。呪いだった。
表で「可愛いね」のカードを切るくせに、裏でカードを逆さにして笑うひとを遠巻きにたくさん見た。遠巻きでも見えるくらいだ、近寄ればきっと、あてられてしまうほどの癪気だったろう。
そして、わたしはできるだけ、この可愛いねのカードゲームには参加しないようにしていた。
だからわたしは、わたしの発した「可愛いね」を、まっすぐ「ありがとう!」と受け止めてもらえた日のことを、きっと一生忘れない。
はるか昔、小学校6年生の頃、地域を横断した子ども会イベント*4が開催された。
そこで仲良くなった女の子と一緒に遊んでいると、その子がふと、「あ!」と大きく手を振った。
手を振った先には、ちょうど同じ年か少し上ぐらいの、それはもう、それはもう可愛らしい女の子がいた。そしてこちらへ寄ってきたあまりにも可愛い女の子*5を指しつつ、友達だと紹介してくれた
彼女と目が合った瞬間、わたしが発した言葉は、
「可愛いね」だった。
すると、返ってきたのは
「ありがとう!」と、極上の笑顔*6。
可愛いと思ったから、可愛いねと言った。
(というより最早、口を衝いて出た言葉だった。)
お世辞でも何でもなく、そこに他意は何も無かったのだけれど、「ありがとう!」とまっすぐ受け止めてもらえたことが12歳には衝撃だった。
そして、その強さと自信が格好良いと思った。
その数か月後、彼女はアイドルになった。
比喩でも何でもない。その文字通り、画面の向こうであの極上の笑顔*7を振りまく女の子になった。
きっと日本に知らない人はいないだろう、押しも押されぬスーパーアイドルだ。
それからずっと、彼女は「画面の向こうの人」として「可愛い」仕事を続けていた。
勝手な想定にすぎないけれど、きっと沢山の呪詛札としての「可愛い」を押し付けられた日もあったはずだと思う。
彼女は清濁併せ飲み、ただひたすらに「可愛い」を生きていた。
そして今は、そのすべてを乗り越えたかのように「圧倒的可愛い」を生きている。
あの日から暫く経った今、あの日のわたしが「強さと自信」だと思った笑顔の「ありがとう!」は、もしかするとある種の優しさだったかもしれないとも思う。
他人の好意をしっかり受け取ることは、きっと間違いなく優しさだ。
彼女はあの日、わたしが投げかけた「可愛いね」という言葉をきちんと受取り、「ありがとう!」と返歌をくれた。
今もメディアを通じて彼女を見かける*8度に、ふと「可愛いね」という言葉の魔力を思う。
たった5文字のはずなのに、なんだか勝手に、この5文字にだけは特別に色んなトラップが仕掛けられているのではないかと思ってしまう日々があった。
できれば、わたしがこれからも生きる場所では、「可愛いね」の言葉には意味は広範であれど純粋に好意だけが詰め込まれて、そしてただただ素敵なお守り札として目の前の相手に出荷される世界であってほしい。
少なくともわたしはそんな好意だけを込めて出荷するから、まわりのみんなにはもっと可愛い笑顔になってほしい。
「ありがとう!」と笑顔の返歌で、はいみんなハッピー!な世界であってほしい。
あともうひとつ、できれば誰かがわたしに「可愛いね、付き合って?」を切り札として使ってくれる世界でもあってほしいので、何とぞよろしくお願いします。
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