アンパンマンは微笑むか
幼いころの記憶はあるほうだと思う。
だいたい3歳以降(2歳後半以降)のことは覚えている。
とは言え勿論、こと細かに覚えているかでいうとそうではなくて、3歳の頃のことと、幼稚園の頃、小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃のことを、すべてにおいてだいたい同じ粒度で覚えているような状態。
(大学時代以降については、さすがに直近10年以内であることと、スマートフォンという革命的アイテムのおかげでまだ記憶が地続きにある感覚なので、浮かぶ写真が少し鮮明になる。)
覚えていることの例を挙げると、2~3歳の頃のわたしは、「ヘリコプター」のことを「へびこぶたー」と呼んでいた。
「ヘリコプター」なんて単語知らなかったけれど、「へび」と「こぶた」は知っていたので、親が話す言葉を何度聞いても「へびこぶたー」にしか聞こえなかった。
他には、「大人にはよく名前と年齢を聞かれる」と思っていたけれど、その「名前」や「年齢」が果たす役割や示す意味をイマイチ理解し切れないままだった。
「がちゃぴんです」「にしゃい(2歳)です」というフレーズだけを覚え、「これが聞かれている内容だ!」といっしょくたに覚えていたので、かなりの頻度で
「お名前は?」「にしゃいです」
「何歳ですか?」「がちゃぴんです」
というちぐはぐな回答をしていた。
そういう感覚を、「あの頃はね、」の粒度で覚えている。
先日インターネット上で、「どうして子どもはアンパンマンが好きなのか」という話を見かけた。
ざっくり科学的な観点から見ると、丸っこいフォルムだとか、目と鼻の位置の視認性の高さだとか、 物語性だとかいくつか要因があるらしい。
さすがに乳児の頃の記憶はない(ので好きになるきっかけについては何も言えない)が、少なくとも「3歳前後の頃になぜアンパンマンを好きだったか」はしっかり覚えている。
「アンパンマンがそこにいると、幼心に”ここは自分がいて良い場所だ”とわかるから」だった。
ニワトリたまごのような話だが、「子どもはアンパンマンが好きだ」が十分に知れ渡っていた90年代前半、子どもが絡む環境すべてでアンパンマンが社会インフラのように整備されていた。
小児科のぬいぐるみや絵本もアンパンマンだったし、幼稚園バスの柄もアンパンマンだったし、ぬりえやお絵かき帳、工作するときのモデルもアンパンマンだった。
そうして、わたしの頭の中には「アンパンマンはわたしたち向けのもの」と刷り込まれていった。
すると、知らない場所へでかけた時、新しいコミュニティに参加したとき、そこにアンパンマンの絵があるだけで「あ、ここは自分向けに準備されている」と思えるようになった。
なので、きっとわたしの場合は、正確には「アンパンマンが好き」ではなかった。
「笑顔のアンパンマンがある場所=幼いわたしがいて良い場所」という、安心の目印だった。
「小さい子はある時を境に突然アンパンマンから卒業する」というのも、わたしの場合はまさにこの延長上にある話であって、年長さんになる頃には「これは赤ちゃんとか小さい子向けのマークだ」と、「自分はもうそこの対象年齢じゃないのよ」なんていうおマセさんな気持ちになっていたからだった。
(ちなみにこの頃はそれはもうセーラー戦士に心酔していて、セーラーマーキュリーに憧れまくっていたのだけれど、その頃マーキュリーが言っていた「みんな!パソコンから離れて!廃人になってしまうわ!」というセリフ通り廃人になってしまった。悲しみが強い。)
わたしはおマセさんになってアンパンマンから卒業したけれど、あの「ここにいても良いんだ」という気持ちは本当に安堵感に溢れるものだった。
例えば、今この年齢になってもおしゃれなレストランで「自分には不似合では」と緊張するように、お偉いさんばかりの会議で「わたしの意見は聞いてもらえるか」と不安になるように、「ここは自分がいて良い場所か、受け入れてもらえる場所か」という懸念は心に付きまとっている。
これを、アンパンマンはあの微笑みで一蹴してくれる。
アンパンマンがそこにいるだけで、幼いわたしに「君はここにいて良いんだよ。」と教えてくれる。
「ここは君たちに向けて作られているし、君たちの話を聞いてくれる人もいる」と明確に示してくれる。
それがアンパンマンの存在だった。
28歳にもなった今、自分の居場所を明確に教えてくれるアンパンマンはいない。
もしかして「アンパンマン」は恋人や配偶者なのかもしれないけれど、残念ながらそんなブランニューアンパンマンはまだ見つからない。
新しい場所を、おそるおそるのぞいて、ひとつひとつたしかめて、そうこうしているうち、わかりきれないままに物語は進んでく。
日々が楽しくないとは決して思わないけれど、何もかも安心して信じられる場所で休憩したいとは思う。
今だからこそ、「ここでいいよ」とアンパンマンに微笑んでほしい。