分かったつもりの備忘録

文字数しばりのない外界へ飛び出しました。▼お叱りお褒め甘やかしはこちらまで gotchagotcha.info@gmail.com

帰りたくなりすぎて、わたしの中身だけ帰った。

色々書いて何度も書き直してどんどん訳がわからなくなったんだけど、できれば「帰りたい。」って日々思ってるひとに読んでもらえたら良いなと思う。

あとまさかの不思議ちゃんオカルト展開だから、年末の都市伝説SPみたいな気持ちで読んでもらえたら良いなとも思う。

 

もう10年以上前の話。

まだ高校生だった頃、それはもう人生最大の人間関係の台風に飲まれてた。

風速80m/sくらいの超巨大台風。レンガの家でも吹っ飛ぶくらいの台風。

とりあえず四半世紀だけでも生きた今振り返れば、

(1)いやいや自分の思ってることちゃんと言えよ

(2)周りのこともっとちゃんと見てろよ

この2つ以外にかける言葉が見つからない程度の話なんだけど、当時の自分に見えていた世界は「一番仲良かったはずの子から、気付いたらめっちゃ嫌われてた。なんで。何があったの。」だけだった。

 

それはまあ色んなことがあった。

本論はそこじゃないのでできるだけ端折るけれど、要はクラスメイトの「アイツが笑ってるのがムカつく」「友達に悪口吹き込んでやれ」の目論見にまんまと嵌ったらしい。

でも結局のところ、そんな安易な悪意に基づく台風で人間関係が乾いてしまうほどに、周囲のひとに対しての感情表現を怠っていた。その大切さを甘んじていた。わたしの怠惰が原因だった。

そんなんだから、絶対に吹き飛ばないレンガの家だと信じて疑わなかった家から地道にレンガが減っていることにも気付けていなかったし、じわじわ軽くなっていた家はある日の強風で一気に吹き飛んだ。

一回失ったものを取り戻すのは難しいし、一見整ったように見えても本当のことは見えていなかったりするんだと、10代の後半で初めてちゃんとぶつかった。

 

そんな初めての超巨大台風に、ただただ慌てふためいたり意固地になったり諦めたり諦められなかったりを繰り返したわたしは、最終的に「帰りたい。」と毎日ぼんやり思うようになった。ここに居たくない、と思った。

 

幸いにもそばにいてくれた他の友人らと日々を過ごせていたのに、いつも一緒だったはずの友人から日々冷たい言葉を浴びることがひどく悲しかった。

(あの頃の、意固地になって凝り固まって潤いのカケラもない、乾燥後の紙粘土みたいなわたしと一緒にいてくれた友人らは、本当に素晴らしいひとたちだと思う。)

 

そんなある日、わたしが勝手に帰った。

びっくりした。

家に帰ると、母に「今日帰ってくるの二回目」と言われた。

 

確かに、めっちゃくちゃに帰りたかった。

お昼すぎくらいに、「もう今すぐ帰りたい!!!!おうち帰る!!!!!!」

と思っていた。

 

そしたら、帰っていた(らしい)。わたしが。

 

その日我が家のリビングには、母と、テスト週間で早く帰宅していた弟がふたりでいた(らしい)。

すると、お昼すぎたころに当時引き戸だった玄関の扉がガララッと開く音と、「ただいまー」というわたしの声が響いた(らしい)。

日常通りの聞き慣れた音に、母と弟はリビングから「おかえりー」と返した(らしい)。

が、帰ってきたはずのわたしが一向にリビングに現れなかった(らしい)。

 

そしてここで母と弟が「そういえば、お姉ちゃん帰ってくる時間まだまだじゃない?」と。

そして夕方頃、わたしが二度目の帰宅をした(ことになっている)。

 

あれから何度確認しても、母と弟は口をそろえて「あの日貴女(姉ちゃん)は帰ってきたよ、間違いなく。」と言う。

わたしはといえば、「授業中に居眠りしてて、その夢の中で家に帰ってた!」
…なんてことはなく、ただ、あの日はたしかに、めっちゃくちゃなくらい家に帰りたかった。

 

母の中では、「あの日がちゃぴんちゃんは中身だけ先に帰ってきた」ことになっている。

そして「行きたくないなら行かなきゃ良いし、帰りたいなら帰っておいで。」と言ってくれた。

 

それから数日後、「あ!無理!帰ろう!」と思ったわたしは、それまでよりずっと軽い足取りで職員室に向かい、

「先生、帰りたいので帰ります。」

と言って家に帰った。思ったままに伝えて、思ったままに足を向けて、つらいと思ったことから一旦逃げることは、思っていた以上に心を軽くしてくれた。

見事にベタな話だと我ながら思うけど、よく晴れた日だったことをしっかり覚えてる。

結局その人間関係は元のかたちにはならず、だけど、これも見事にベタな話ながら、おかげで出会えた新しいものも沢山あったと今は思う。 

 

こんなことを思い出したきっかけはいくつかあって、
先日、偶然「元いつも一緒だった友人」のTwitterアカウントを見つけた。心の中に風速17.1m/sくらいの風が吹いて小さな台風が起きかけたけれど、元気なら良かった、と思った。

さらに先日、紙粘土だったあの日のわたしと一緒にいてくれた友人が結婚した。結婚式で披露されたケーキは彼女と旦那様の共通の趣味が詰め込まれたとても素晴らしい逸品で、そのウエディングケーキの画像を添えた参列者の方の投稿がTwitterでバズり、数千RTになった状態でTLに流れてきたときは綺麗に二度見した。

 

実はあともうひとつ、10年前のその頃、初めて「ネット上でのお友達」ができた。

鍵付きのはずの彼女のcroozブログに、システムエラーで迷い込んだのがきっかけだった。

目の前の狭い現実はずっと台風で荒れていた日々に、画面の向こうの友人は大きな支えのひとつになった。

先日、そんな彼女からLINEで「結婚式するから良かったら来てね」と連絡を貰った。
色んな気持ちがよみがえって、「!」とだけ返してしまった。「おめでとう。もちろん、いつでもどこへでも行くね。」と付け足した。

 

高校生から会社員になって、アナログだけの世界からcrooz、そしてTwitterやLINEになって、沢山の日々が過ぎたなかで沢山のことが変わっていった。

思ったより簡単に、帰りたい、と思えばスッと帰れたし、見事にベタなセリフだけど見える世界は変わったし、インターネットが繋ぐ先から届く言葉でもっと世界は広がって、暖かい灯りがひとつずつともった。

そして見える世界が変わったそのまま、意外にくるくると人生を進めてこれた。

たどり着いた今の日々の中でたまに疲れてしまっている時、母は「帰ろうと思えばいつでも帰れるのよ。」と笑う。 

 

あの日勝手に帰宅したわたしは、きっと心底帰りたかったんだと思う。

今だって「帰りたい。」と思うことはたくさんあるけれど、今のところはそれなりに頑張れている。

だけどもし、あの日ほどに強くそんな風に思うことがあったなら、今度はちゃんと身体ごと家に帰ってお布団にくるまってあげようと思う。