母親の嘘に気付かずすくすく育ってわかったこと
母には勝てない。
こんにちは、26歳がちゃぴんです。
26歳がちゃぴんです。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
気付いてしまったんですよね。
「26歳がちゃぴんです」って言えるの、あと1か月と少し。その後は「27歳がちゃぴんです」。いや、別に26も27も、実際そんな違わない。敢えて言うなら27歳ってあれですよね、ロックスターならしぬ。
ロックスターじゃなくて良かった。まだそっちのドアーくぐってあっちにダイブしたくはないです。
前述の通りわたしはロックスターではないので、実際のところ26歳でも27歳でも日常生活には何の違いも生まれません。ただ、個人的心情において、ちょっとだけ違うんです。
SUPER BEAVERのアルバム「27」の表題曲、「27」に、こんな歌詞があります。
ロックスターは死んだ まだ僕は生きてる
母が僕のことを産んだ 幾つのことだっけ
(SUPER BEAVER/27 - TOWER RECORDS ONLINE)
母がわたしのことを産んだ まさに26のこと。
母が26歳のとき、わたしが産まれました。その26歳をついに終えてしまうんだと思うと今までとは少し違います。
わたしが日々産みだしてるのは140文字くらいだよ…母親が26歳のときに産みだした生命は、26年経ってひたすら140文字を産みだしてるよ…。
まあ良いんだ…何事も母には勝てないものです…うん…。
わたしはそんな母に、幼いころから本当に多くのことを教わりました。
大好きな、そして自慢の母親です。
今ではすっかり「当たり前」として認識していることは、幼いころに母から学んだ諸々が礎にあります。
「お魚は美味しくて身体にも良いよ。たくさん食べるんだよ。」と幼いころから食卓に様々な料理を出してくれていました。
「お花も虫もみんな名前があるんだよ。なにも怖くないよ。」と一緒に花壇の世話をしてくれました。
「お店の人にもちゃんとごあいさつするんだよ。なにも恥ずかしがらなくていいのよ。」とたくさんのひとと話す機会を与えてくれていました。
何十年も経った今、魚は大好きで、花の名前を覚えることも好きで、虫も怖くなくて、一人旅で出会った方とついつい話し込んでしまうような26歳になっています。
まさに、三つ子の魂百までとはこのことでしょう。
まあこれ、全部だまされてたんですけど。
物心ついた頃にじわじわ気付き始めたんですよね。
「あれ、そういえばお母さん、魚あんまり食べないよね…?」
「あれ、そういえばお母さん、虫とか爬虫類とか思いっきり苦手だよね…?」
こんなことがたくさん。
ある日、母が話していました。
「私ね、結婚してすぐの頃、お肉屋さんで”これを200gください”って声をかけることもできなかったの。恥ずかしくて。」と。マジですか。
大阪生まれ大阪育ちのシティガール、かつ、祖父が「こーーーーーーーーーーーーーんな大きな箱に入れて育てた(ジェスチャー付)。」と明言するほどのいわゆる「箱入り娘」だった母は、結婚するまで知らなかったこと・苦手だったことがとても多かったそうです。
そこで、わたしが産まれたときに母が決めたことが、「教えられることは何もかも教える」「自分の”苦手”で子供を左右しない」。
そのために、「魚、頭がついてる状態なんて本当無理本当怖いこっち見てくる本当無理…」なほど苦手なのに、様々に調理して、わたしに出してくれていました。
シティ生まれシティ育ち故に虫にも慣れておらず、悲鳴を上げるほど苦手だけれど、自分は我慢して「怖くないよ」と教えてくれていました。
「小さい頃まわりになく、触れる機会もなかった」そうで草花の名前もあまり知らず、わたしと花壇をつくる中でひとつひとつ覚えいったそうです。
どうりでうちの母、「がちゃちゃん、なんかね、近くの土手の草むらを綺麗にしたくて草むしりしててね、すすきの葉っぱみたいなのを素手で引っ張ったら、手のひらいっぱい怪我した…なんかスパッて切れた…」
なんていう、アイワズボーンinカントリーサイドな人間からしたら文字列をなぞるだけで手のひらやひざ下に古傷がある気がしてゾクっとし始めるようなことをきょとん顔で伝えてくるわけです。
しかし、母親のそんなたくさんの「嘘」のおかげで、わたしは幼いころから色んな世界に出会うことができました。色んなことを”苦手”にせずに済みました。
魚は大好きで、花の名前を覚えることも好きで、虫も怖くなくて、一人旅で出会った方とついつい話し込んでしまうような26歳になっています。
すっかり、母の術中に嵌まりました。
母には勝てないです。
もうすぐわたしは27歳になります。母は、今のわたしの年齢でわたしを抱いていました。
まだまだ遊び呆けてばかりでそんな未来が欠片も見えない状態ですが、いつかのその時、わたしも母のような人間でありたいと思っています。今と将来の両方にしっかり目線を遣れる人間でありたいと思っています。
そして、心からそう思える親のもとで成長できたことに、歳を重ねるほど幸せを感じている26歳の日々です。
数年前に、母と一緒にとあるバラエティ番組を見ていました。
虫が苦手なタレントさんに、虫のおもちゃを近付けるドッキリでした。
「お母さんのおかげで虫も怖くないもんなあ」と呟くわたしに、母から返ってきた言葉。
「そうね。子供たちが虫を怖がらないように頑張ったもの。だって、おうちに虫が出たときに代わりに退治してもらわなきゃいけないからね。そのために、一生懸命”怖くないよ~”って教え込んだんだもの。」
やっぱり母には勝てないです。