分かったつもりの備忘録

文字数しばりのない外界へ飛び出しました。▼お叱りお褒め甘やかしはこちらまで gotchagotcha.info@gmail.com

頑なにグリンピースを残し続けてわかったこと

ベトナムの横断歩道はゆっくり渡らないと、死にます。

第二の人生を送る日本製カブが、あなたの心臓(ハート)に直撃します。物理的に。

 

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(引用元:ホンダ スーパーカブ50スタンダードのカタログ-バイクのことならバイクブロス )

 

こんばんは。今年の目標は街クリに連載を持つこと、26歳がちゃぴんです

昨年末の宣言通りのご挨拶とさせていただきました。

本年度の目標、実現できた暁にはぜひ皆さま「がちゃぴんはワシが育てた」と仰ってください。宜しくお願い致します。

igotcha.hatenablog.com

ちなみに、相も変わらずスコット・マーフィーと結婚したいです。

 

そして、そうです年始でございます。

皆さま明けましておめでとうございます。

旧年中は、大変お世話になりました。特にこのブログまで読んでくださっている皆さまには、おそらく甚だお世話になったことかと存じます、心より御礼申し上げます。

本年も、何卒宜しくお願いいたします。

なお、7日までに更新をしておけばおそらく地域を問わず松の内でしたので「あけおめ!!!」と声を大にして言えたのですが、時刻は1/11 0時を迎えてしまいましたため15日までが松の内であると信じつつ微妙な小声です。

皆さまの益々のご発展を祈念しております。

変わらずお引き立ていただけますと幸せます。

 

 

幸せます。

 

 

これ方言なんですね。二十歳そこらで知りました。

我が故郷山口県だけで使われる方言だそうです。

shiawasemasu.jp

山口県で生きていくなかではあまりに生活になじみ過ぎていて、「外では違う」という発想すらありませんでした

 「それが当たり前」の世界にいると、「ムラのルールは外では違う」ことに本当に気付きづらいんですね。「どれがムラのルールなのか」の判断がつかない。ですが、知らないということを知らないまま過ごしてしまうことには、考えることの放棄に繋がるものがあると個人的には思っています。

パスカルの哲学に則れば、人間はひとくきの葦に過ぎませんが、考える葦。考えることを放棄すればただの葦です。まさにホウキ。

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(引用元:定年後は田舎暮らし )

 

はい、今日の「これが言いたかった」ハイライトはここです。パスカルに謝る準備はできています。

 

なお、わたしは大学進学に合わせ大阪へ越したのですが、「幸せます」も「すいばり」も通じない、「いか焼き」は「イカ焼き」じゃない、「で、オチは?」は声には出されずとも空気で伝える、そんなルールの相違を、大都会大阪にて多く学びました。

 

そして同じく二十歳そこらの頃に「カントリー山口と大都会大阪では共通でも、更に外ではまた違う」ということを、危うく死にかねない経験とともに学びました。きっかけは、グリンピースを残したことで始まった初対面の方との1日ベトナム観光です。

 

何を言ってるのかわからないと思います。まずは簡略化してお話しすると、「飛行機で隣り合ったご夫婦と4日後にベトナムで再会し、丸一日の観光と三食をお世話になった」というなんとも図々しい思い出話です。実話です。

 

当時大阪在住の大学生だったわたしは、友人とふたりで関空からタイ・ベトナム旅行へ出発しました。その機内、真後ろにズラッと座られていたのは、10人ほどのシニアな大先輩の皆さま。そんなシニアな大先輩の皆さま方は、一つの話題で持ち切りでした。

このカードなんやねん。何書いたええねん。

つまり、ベトナム出入国カードが書けない、というかまず存在意義からよくわからないという話でした。

tabikko.com

 

そこで、「パスポートや旅程など、かなりプライベートなものまで拝見しても良ければ、私たちが書きますよ。」とお話をしてみたところ、

せやな、大阪のシニアな大先輩方に、プライベートなんてないねやんな。

 

全員分のカードと旅程とパスポートをお預かりし、友人と手分けし全員分を書き終え、まとめてお返しし、一息つくとともに機内食を食べました。

するとしばらくして、通路を挟んだ隣から「グリンピース、嫌いなの?」との声。

「なぜバレた」と咄嗟に思いましたが、バレて当然でした。20年間、どんな苦境だろうとも頑なにグリンピースを残し続けて生きてきたわたしの目の前には、それはもう美しく、そこにあるべきかのようにごく当たり前に、グリンピースだけが鎮座しておりました。その方は、「米粒ひとつ残さずとても綺麗に食べているのに、あまりに綺麗にグリンピースを残しているものだから気になって。」と続けられました。

 

その一声をきっかけに話が盛り上がり色々と伺ったところ、先方はご夫婦での旅行で、現地に住む親族を訪ねて数度目のベトナム渡航、とのこと。

そしてお互いの旅程を照らしてみると、わたしたちがタイ旅行を終えベトナムホーチミンへ入る4日後、そのご夫婦もホーチミンで休日を過ごされているということが分かり、最終的には、「ベトナムに行くのが初めてなら私たちが案内するよ。良かったら、到着次第連絡してね。」と携帯番号の書かれたメモを頂き、我々はタイへ向かう乗換のためベトナムの空港でお別れしました。

 

…ここまで書いて、薄々気付いてきたんですが、長いですね

すみません。あと少しにします。ちょっとだけ。ちょっとだけだから。

 

いざ4日後の夜。わたしたち二人はベトナム入りし、頂いた電話番号へご連絡をし、再会したバーで「良かったら、明日丸1日ホーチミンを案内するよ」とのありがたいお言葉をいただき、翌朝まずフォーをご馳走になり、市場に連れて行っていただき、昼食をご馳走になり、ショッピングモールに連れて行っていただき、夕食をご馳走になり、観光港に連れていっていただく、というお世話になりっぱなしな一日を過ごしました。

 

さあ、ここで巻きました。帳尻合わせは大事です。

 

その、最後に連れて行っていただいた港での出来事です。

わたしたちが信号のない横断歩道を渡ろうとしたそのとき、少し離れたところから1台のカブがまっすぐ向かってきていました。

そこでわたしは、なんとなく普段のクセで少し小走りになり進…む、つもりでした。

しかし、走ろうとした瞬間、

走っちゃダメ!歩いて!

と、ご夫婦が声を揃えて仰いました。理由はわからないものの、とりあえずそのままのスピードで歩を進めたその少し後、遠くに見えていたカブと、どこからでてきたのかわからないカブ数台が、わたしたちの前を横切って行きました。

ちなみに、ベトナムの車道のバイク占有率はだいたいこんな状態です。

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(引用元:ベトナムハノイでの生活環境(その2) | EVOLABLE ASIA ブログ )

 

横断歩道を渡り終えご夫婦から伺ったのは、次のような話でした。

ベトナムでは、バイクを運転するひとたちは横断歩道を人が渡っていても(信号がないのなら)基本的には待たない。止まらずに進む前提で運転してるから、歩行者と歩行者の隙間を探して進む。彼らは歩行者を見つけると、その歩行速度から進む距離を予測してルートを選び進むんだ。加えて、とにかく台数が多い。色んな路地から出てくる。だからわたしたち歩行者はバイクが来ていてもとにかく一定のスピードで堂々と歩くことが、一番安全に道路を横断する方法なんだよ。急に走ったりすると、ドライバーが予測運転を誤って轢かれてしまう。」

 

少なくとも当時のわたしにとって、この話は目からうろこでした。

「横断歩道を渡っていて、車(自動車・バイク)が寄ってきているとき、もしくは待っているときには、なんとなく小走りになる」ことは、わたしにとって「深く考えたことはないけれど当たり前」でした。もしくは、その大前提に「歩行者のいる横断歩道では、車側が止まるもの」という思考がありました。

けれど、それはあくまでもわたしが過ごしてきた場所での当たり前でしかなく、外の世界、ベトナムホーチミンでは全く通じないものでした。きっとわたしは、このご夫婦に出会わなければそんなことは知らないまま今日を迎えていたと思います。むしろ、ベトナムで轢かれて今日を迎えていないかもしれません。

 初めてのベトナム旅、グリンピースのおかげで生きて帰ることができました。

 

 

余談ながら、最後の最後、奥さまからこっそり教えていただいたこと。

「実はね、あなたたちがたくさんの入国カードを書いているところから見てたの。話しかけてみたくて、ずっときっかけを探してて、その結果がグリンピースだったのよ。」

 

何この耳をすませばな裏話。

実は初めて会話する以前から見ていただいていて、ずっときっかけを探していただけてただなんて。わたしは知らない間に入国カードという図書カードに触れ、素敵な方と出会えていたようです。バイクタクシーだと思っていたあれは聖司くんとの二人乗りだったのかもしれません。

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(引用:ホーチミン・乗り物事情 | ベトナムナビ )

 

 

長々とここまで綴りましたが、今回は、頑なにグリンピースを残したことで、また少しムラの外を知ることができた、そんなお話でした。「当たり前」を「ただのムラのルール」だと知るたび、自分の生きる世界が、視野が、少し広がったような気持ちになれます。思考幅の広い葦を目指したいものです。

 

さあ、「ちょっとだけ」と書いてからここまでで、約1500字です。もしこれが走れメロスなら今頃、人を疑うことしか知らない暴君が「わしだって、平和を望んでいるのだが。」なんていう厨二病真っ盛りなセリフを口にする場面まで来ています。暴君の改心へ繋がる大事なシーンですね。( 太宰治 走れメロス )

 

皆さま、どうかベトナムの横断歩道はゆっくりと、一定のペースでお渡りください。そして、世の中の「一口ちょうだい」と「ちょっとだけ」は信じないようにお気を付けください。

 

それでは、今年の目標は街クリに連載を持つこと、日本一スコット・マーフィーと結婚したい26歳がちゃぴんでした

 

 ちなみに、「耳をすませば」はちゃんと観たことがないです。

 ちょっとだけ!ちょっとだけは観たことあるんだよ!