分かったつもりの備忘録

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アシカ「うるせえ、タコぶつけんぞ」はなぜ起こったのか※英語記事日本語解釈

数日前にめちゃくちゃバズっていた「アシカがタコを投げつける動画」

www.instagram.com

この動画について詳細を書いた英語の記事があがっていました。

www.npr.org

友人の「この記事の和訳ないかなあ」という発言を見て、「サクッと意味を伝えられる程度にはできないかなあ」と取り掛かってみたら、ちょっとだけアシカに詳しくなりました。

破線以下、黒字元記事の意訳、ピンク字がわたしが可能な範囲で調べた内容とわたしの疲弊の様子を記録したものです。

 

生暖かい気持ちで読んでやってください。

 

※なお、本ブログ記事はあくまでも個人の趣味の範疇での解釈に留まり、原文記事の忠実な和訳ではございません。

また記事権利元の方の要請等に基づき予告無く削除する可能性がございます。

 

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タコ武装アシカはなぜカヤック乗りを”タコ殴り”したのか

(Why Did An Octopus-Wielding Sea Lion Slap A Kayaker In The Face?)
September 28, 2018 1:35 PM ET

 

アシカがタコでカヤック乗りを引っぱたく、そんなまさかの映像がめっちゃバズった。超バズった。

 

ニュージーランドの南島沿岸で起こった、野獣と男性との闘い。

その日、タイヨウ・マスダ氏、カイル・ミュリンダー氏とその友人たちは、カイコウラの海岸からカヤックで出発しようとしていた。

マスダ氏のカメラが、海面のすぐ下をスイスイと泳ぐアシカを追っていたところ、ミュリンダー氏から60cmほどの位置から突然アシカが飛び出し、タコをぶん投げてきた。

マスダ氏が「ウワァ!」と叫ぶと同時に、ミュリンダー氏は頭を振り、バッと振り返って水中を覗いた。

「誰が一番びっくりしたかわからない、”オットセイ”?タコ?自分??」(Instagramでのミュリンダー氏のコメント)

>このあたりで着手したことを早くも後悔しました。オットセイとかアシカとか急にいろいろ言われてもうめっちゃ困った。日本語でさえどれがどれかわからないのに。

 

…いやでも、アシカほんとどうしたんだ。

>ここニュージーランド特有の言い回しが出てきてめっちゃググりました。
原文は”But what exactly was the sea lion up to?”。
この言い方は、ニュージーランドでの気軽な挨拶で使いがち、とのこと。
気軽にアシカのきもちを考えたいときには是非使っていきましょう。

参照:"What are you up to?" ってどんな意味?なんて答える?

 

この決定的瞬間のアシカの気持ちを探るため、我々はアシカのプロを訪ねた。

>我々がアマゾンに向かう感じか…

カリフォルニア大学サンタクルーズ海洋科学研究所の主任研究員であり研究者でもあるColleen Reichmuth氏と、ニューカレッジオブフロリダで動物の認知について研究している心理学助教授Peter Cook氏(しかもアシカ経験あり)である。

>つまりマジのすごい方とマジのすごい方に聞きにいった様子。しかもアシカ経験あり。アシカのきもちスペシャリスト。

 

まず最初に、彼らは「話題の動画に写っているのはオットセイでなく、間違いなくアシカである」と明確にしたかった。

>この文章序盤でほしかったー!この文脈早く知りたかったよねー!

 

Cook氏曰く、このめちゃくちゃバズった生き物さまは、ニュージーランドに生息するアシカだろうと思われるが、このビデオだけでは完全には言い切れないらしい。

>すっごくどうでもいい話題なんですが、この原文を直訳するとアシカのことを「このショーのスターは」と言っていて、「これこれ~!このTHE☆英語のジョークみたいな言い回し~~~!」となりました。

 

アシカとオットセイは、どちらも”アシカ科(Otariidae)”に属し、時には「耳つきアザラシ(eared seals)」と呼ばれる。

アザラシとは異なり、アシカ科の彼らには「(目で見てわかるところに)耳たぶ」と「大きな前ひれ」がある。陸上でも活動的に動くためだ。

>「アザラシとは異なり、」ってサクッと言われても知らんやん。

どうやら、我々が「なんかああいう感じのかわいい大きいたまに強そうなやつ」と思っているものは、大きく【アシカ科】【アザラシ科】【セイウチ科】に分けられるそうです。このあたりで海獣にちょっと詳しくなってきました。

鳥羽水族館さまのツイートが今なら真の意味で理解できます、ありがとうございます。

 

Cook氏曰く、アシカ科はアザラシよりも活動範囲が広く、カニイカ・タコなど色んなものを食べ、「物を持つ/握る」ことが可能だそうだ。

>やっと出てきたタコ!!!!!!!!

 

またアシカは、予想だにし得ない方法で獲物を食べることがある。
Cook氏は、「よく理解できない方法で食事を取ろうとする(複雑な摂食行動を彼らにもたらす)のは”遊びの傾向”かもしれません」と言った。

アシカは、独り立ちを迎える前に母親と一緒に9ヶ月~2年を過ごす。
その間、彼らは母親からミルクを与えられていて、遊ぶために多くの時間を費やす。

「動物行動研究における見解では、動物が学習し、成長の過程で”大人(成獣)として、より複雑な潜在的行動を取るための準備”として、”遊び”の中で学ばせる傾向があるとしています」とCook氏は続ける。

>つまり、成獣になったときには「自分で食料を調達して食べる」という行動を取らねばならず、でもしばらくはママンがミルクくれるから、その間に遊び×食べるで大事なことを覚えようタイムを過ごすってことかなと思います。わたしの大好きなねるねるねるね作るみたいなもんかな。

ところで「遊ぶために多くの時間を費やす」という日本語の美したるや、と思いました。

 

—つまり、ちょうどタコで遊んでいたということ?

 

「なんとも言い切れないが、可能性としてはあり得ます」とCook氏。

>原文は"It's hard to say" でして、"It's hard to say" といえば…!とここで頭のなかでDon't Look Back In Anger / OASISが流れ始めたんですが、サビまで流れ切ってあれは”I heard you say”だと気づき、いよいよこの続きを書く心が折れてきました。

 

「アシカは食べ物で遊ぶことがとても好きで、タコを投げつけるのはアシカにとってかなり楽しいかもしれないです。」とCook氏は言う。

Cook氏は以前、飼育下にあるアシカが食事のあとに残ったエサで遊んでいる様子を見たとのことだ。 30分ほどの間、アシカは魚を上下に振り回して、投げあげたものを再度キャッチするなどしていたようだ。

>「タコを投げつけるのはアシカにとってかなり楽しいかもしれないです。」を訳すの、文章の状況がイレギュラーすぎてこの文章を打つことがわたしにとってかなり楽しいかもしれないです。

 

Cook氏によると、タコを投げつけた直後、アシカが後ろへ回り非常にゆっくりと泳ぐことから「このアシカがタコで遊んでいた」可能性を見てとれるそうだ。

ひっくり返ってヒレを振る泳ぎ方は、アシカがかなりリラックスしていること表しており、仮にアシカが「獲物を追いかけている状態」である場合には見せない仕草だという。同時に、アシカは時折「食べ物を投げて食べやすくする」という行動を取る。

>再びすっごくどうでもいい話題なんですが、「アシカが」と打ちたいときにしつこく「足利」と変換されることもわたしのフラストレーションをじわじわ高めていきました。

 

Reichmuth氏は、この動画がアシカの典型的な採餌行動を描写できていると述べる。

>皆さん(わたしが余計なこと挟むせいで)お忘れかもしれませんがカリフォルニア大学サンタクルーズ海洋科学研究所主任研究員のReichmuth氏です。

 

「この動画の行動は、アシカが”すべてを丸のみするには難しい餌”を捕らえたときの行動として非常に正常なものです。」とReichmuth氏は言う。

「アシカには臼歯がないため、滑りやすい魚やタコを握ることはできますが、うまく噛むことはできません。代わりに、彼らは獲物を水面に持ってきて水にぶつけ、それを一口サイズのものに分解するのです」と彼女は続けた。

>つまり、「すりつぶすための歯(grinding teeth)」が無いから一口ずつもぐもぐができなくて、「ヒャッハーーーー砕け散れーーーーーーい!!」と投げつけることがあるそうです。アシカのきもちを見る目が変わる。

 

Reichmuth氏とCook氏は、「アシカがタコを水面にぶつけたかった」という点で同意した。つまりそこにカヤック乗りが居たかどうかは関係なかったのだ。
アシカは通常、人間に無関心である。

「アシカは人間に近づいて見ることはするが、だいたい自分のことしかしないんです」Cook氏は言う。

Cook氏によると、アシカが人間と闘うために武器としてタコを使ったとは考えにくいそうだ。

「アシカが積極的に人を叩くという行動は、これまで聞いたことがありません。もしあったとしたらかなりの驚きです。」

>アシカ「人間うるせえ、タコぶつけんぞ」でなくて「ヒャッハーーーー砕け散れーーーーーーい!!(遊び)(楽し気)(ところで人間いるらしい)」だったのか…

 

しかし、アシカが人間に対して無関心であっても、彼らが人間にイラつかないというわけではない。「アシカは遊び心のある動物ですが、人間の存在に邪魔されていると感じないわけではないのです」と、Reichmuth氏は言う。特に、採餌時のような生物学的に重要な活動を行っているときはそうだという。

おそらくカヤックに乗っていた人物は、アシカが餌を食べていた場所にパドリングしてしまったのであろう。「(海上からでは)動物の身体の表面は数回しか見えないので、カヤック乗りはおそらく、いるべきではない場所、餌を食べているアシカに近すぎる場所にいたのでしょう。」と彼女は話した。

 

彼女は、この動画が面白がられているうちに、より大きな問題の提起にもつなげられると考えている。それはすなわち、「野生生物の領域への人々の浸食」である。

野生動物に対する一般的な礼儀として、動物が人間の存在のために行動を変える、「応答の閾値(threshold of response)」からは遠ざかる(踏み込まない)ものだと彼女は言う。

>人間と野生動物の共存のための線引き。その線を越えてしまえば、(今回はおそらく違うようですが)「うるせえ、タコぶつけんぞ」と言われても仕方ないかもしれません。

 

結局のところ、このアシカがタコで何をしていたのか、その行動がカヤック乗りの影響を受けたものなのかどうかは、確実には分からない。

>最後にもう一度すっごくどうでもいい話題なんですが、ここの原文を直訳すると「この今世界的に有名なアシカは」と言っていて、「これこれ~!このTHE☆英語のジョークみたいな言い回し~~~!」となりました(二回目)。

 

 

誰かがアシカの奇抜な行動、あるいは動物の予期しない行動を目撃すると、それがなぜ起こったのかという推測がしばしば起こる。

「我々は、アシカたちがしばしば我々の知りえなかった”新しいこと”をしているのを観察しています。」Cook氏は言う。

「いつもたくさんの質問があり、私たちは最良の回答を返します。が…アシカたちはあなたを驚かせるでしょうけど。」

>原文"But, yeah, they can surprise you."で終わらせるのカッコイイなと思いました(小学生並の感想)。バットイエー(いい感じに肩をすくめつつ)。

 

—筆者Rachel D. Cohenは、NPRのScience Deskのインターンです。

>わたくしがちゃぴんは、ただのツイッター廃人です。転職先を募集しています。

 

(以上、原文 Sea Lion Slaps Kayaker With An Octopus Right In The Kisser : Shots - Health News : NPR

ずっと大切にしてきた宝箱を背負った日までの話

大好きな大好きなバンドの曲なのに、CDもちゃんと手元にあるのに、一度も聴いたことのない曲が数曲あった。

 

あまりにも嬉しいことがあったとき、あまりにも疲れてしまったとき、日常の、本当にふとしたとき、そんなときに少しずつ聴くことにしてきた。

まるで大切にしまっておいた宝箱から取り出すようにして、1曲ずつ1曲ずつ聴いていた。

 

馬鹿みたいな理屈だけれど、その大好きな大好きなバンド、ELLEGARDENが歩みを止めていた以上、宝箱にしまいこんでいる曲たちを聴き終えるまでの期間はまだ、わたしだけにとっての「ELLEGARDENの新曲」に出会える日々だった。

彼らに会えずじまいで迎えてしまった10年の間で何度か開け閉めした宝箱には、あとほんの少しだけの「新曲」が残っていた。

 

だけれど、宝箱の底が見える前に彼らが戻ってきた。

 

2018年5月10日、その日、わたしのツイッターアカウントは

「自販機って183cmらしいよ、小栗旬とか綾野剛と向き合う練習とか、高橋一生田中圭と目を合わせる練習ができるね」

といつもと変わらずふざけていたら色んなひとに届き、TANITAさんSHARPさんにも届き、最終的に1,200万人に届き、それはもうてんやわんやになっていた。

 

「がちゃぴんのツイートとELLEGARDENのニュースが、Twitter公式モーメントに並んでるよ」

なんてLINEをもらった。

数年前の頃のわたしに伝えたなら端から端まで理解不能だろう状況がやけに面白かった。

ELLEGARDEN」って文字列に似合うSNSは「mixi」だったんだよ、なんて思った。

 

信じられないくらいてんやわんやのタイムラインのことすら忘れてしまうほどに、信じられないくらいあまりにも嬉しいニュースを受けたその日の帰り道、宝箱から1曲取り出した。

その日まで曲名しか知らず、歌詞も知らなかった、初めて聴いたその曲は、始まって一言目に

“Seven years have passed so quickly, and it seems like yesterday”

(あっという間に7年が過ぎていたけれど、まるで昨日のことみたいだ)

と奏で始めた。

 

思わず「嘘でしょ、」と少し笑いながら独り言がこぼれた。

10年が過ぎたし、あっという間ではなかったけれど、彼らが戻ってくるそのひとつでまるですべてが昨日のことのように蘇っていた。

 

そのまま、

“I don’t forget the promise we made”

(僕らの約束を忘れないから)

と歌われた。

ELLEGARDEN細美武士として休止前ライブで話した「これが最後じゃない」という言葉、ELLEGARDENを愛するひとの手元に届いていた、「解散はしないから。俺頑張るからね。」の言葉、色んなことが頭をよぎった。

 

彼らの音楽に出会ってから十数年、最初は ”Wannabies” の意味すらわからなかったわたしが、一度で聴きとれるほどには大人になっていて、あの英語詞の発音を聴き慣れていたことが、嬉しくて誇らしくてどこか少し気恥ずかしくて、そして、この「わたしだけにとっての新曲」を聴けたすべての幸せに歩きながら笑って泣いてしまった。

 

 

その日からわたしの開くタイムラインはいつもELLEGARDENのことでいっぱいだった。浮足立って半信半疑で、「ELLEGARDENのライブチケット」というものの存在は遥か霞の彼方にあるようだった。

 

ある日、わたしのふとしたつぶやきに

「自分ももちろん当てたいですが、あなたのような人にチケットが当たってほしいです。」

とリプライをくれた方がいた。あまりのやさしさあったかさにとても嬉しくなって、わたしは、感謝の言葉とともに

「きっと、そういうあなたのような方にこそ当たるんだと思います。」

と返した。

 

それから数か月が経って、やっぱりわたしはチケットを当てられなかった。

分かってた、分かってたよイーマイナスさん…という納得感と、どうしても諦められない気持ちでTwitter検索をかけた。

急遽ひとり行けなくなった、と同行者を募集している方を見つけて、リプライを送った。

 

存外に、すぐにお返事をいただけた。

「普段は別のアカウントでTwitterを見ています。そちらでがちゃぴんさんをフォローしているので(リプライがきたことに)驚きました。普段はこの画像に写っているアカウントを使っている者ですが、良ければ同行を…」

このメッセージに添えられていたのは、とあるTwitterアカウントのスクリーンショットだった。

 

それは、わたしに「当たってほしい」と言ってくださった、わたしが「きっとあなたにこそ」と返した、その方のアカウントだった。

 

あまりの奇跡に思わず席を立ってトイレに行って何度も画面を確認して、思い切り涙ぐんでから一生懸命お返事を打った。

ELLEGARDENのライブに、行けることになった。

 

 

ライブ当日は、公式グッズとして売られていた「宝箱Tシャツ」を着た。

まるで、わたしが「新曲」たちをしまい込んでいた宝箱が描かれているような気持ちだった。

大好きな大好きなELLEGARDENに初めて会える日、ずっとずっとわたしの脳内だけにあったはずの宝箱を背負って立っていた。

 

そんな公演の前後、SEとしてストレイテナー「ROCKSTEADY」が流れたとき、 <ROCKSTEADY~!> と歌う声が聞こえてきた。

ASIAN KUNG-FU GENERATION「君という花」が流れたとき、あの聴き慣れた少し気だるげな声に倣うように皆が皆すこし小声で歌っていた。数万人の小声は、十分に空気を揺らす合唱になっていた。

MONGOL800「あなたに」が流れたとき、だんだんと合唱は大きくなって、 <あーなーたーに!会いたくてーーーー!> の大合唱だった。

 ELLEGARDENを愛してやまないだけじゃない、別々の場所で同じ2000年代を生きたひとたちが、いろんな愛と物語を持って集まっていた。 

 

どんな公演だったか、なんて、わたしの言葉ではどうにもならない。

ONE OK ROCKの命を燃やすようなライブも、takaのMCも、待ちに待ったELLEGARDENのライブも、メンバーの言葉と表情も、全部全部、文字にできない知らない感情で見つめてきた。

 

きっと大泣きしてしまうに決まってる、と思っていた始まりのSupernovaは、聴き慣れたフレーズで始まった瞬間、自分でも聴いたことのないような歓喜の声を上げて顔が壊れるんじゃないかってくらいにくしゃくしゃに笑って、最大級の笑顔で聴けてしまった。

 

「ずっと支えられてきたから、もし聴けたらしっかり焼き付けるんだ」と思っていた <思うよりあなたはずっと強いからね> の言葉は、聴けた瞬間に声を上げて泣いてしまった。

 

どう表現したらいいかわからない感情であふれて、ただただ幸せで、わたしの人生のいろんなものが洪水のように流れてきて、でもそれはわたしだけではなくて、会場の内外で起こっている数万の洪水がぐっちゃぐちゃに混ざっていた。

 

  

彼らが戻ってきた一報を聞いた日からずっと、ずっと夢みたいな日々に嘘みたいな奇跡と思い出が積み重なって、分厚すぎるアルバムが出来上がってきた。

 

チケットをお譲りいただけた奇跡的な出会いに震えたこと、

「あの子に行ってほしいから」と誰かを想う気持ちにたくさん出会えたこと、

チケットが無いまま幕張に来たというお兄さんと、「見つかりますように」と握手をしたこと、

スタジアムでビールを買いに行ったら、目の前に並ぶ女性から「がちゃぴんちゃんと乾杯したいな」と聞こえてきて驚きで顔を上げたこと、

ライブが終わって届いた「夢のようだった」のメッセージに少し涙ぐみながら同意の返信をしたこと、

握手をしたお兄さんが直前にチケットを譲ってもらえたと聞いて、自分のことのように嬉しかったこと、

一度ホテルに戻ったのに、「特別な夜だから」と、帰路についていたはずの友人と深夜の幕張の夜空の下乾杯したこと。

 

使い古された言葉だけど、この夏はきっと、一生忘れられない夏だと思う。

あまりにも嬉しい日々に宝箱の中身は一気に減ってしまったけれど、中は空っぽにならずに、新しい宝物がいっぱいに詰まった。

一生忘れたくないし、何度も何度も反芻してしまって、ぽんこつなわたしの中では夢も現実も全部ごっちゃになってしまうかもしれなくて、でもそれも含めての、夢みたいな忘れられない夏なんだと思う。 

 

 

2018年5月10日を迎えて、自分の生きてきた道にずっと流れていたELLEGARDENの音楽を振り返った気持ちは、【音楽はすべて「オリコン」の中だった】のタイトルを付けて5月のうちに文章に残しておいた。

たった数か月前の自分のことだけれど、この日の自分を引き寄せて抱き締めあって大声で騒ぎたくなる。

 

会えたよ、聴けたよ、嬉しいね、おめでとう。これからも、頑張ろうね。

どっかのラブソングだった。ラブソングのぶつかり合いだった。

 

「…んなわけねぇだろっつうの。」

 

アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ここに触れずには第7話を終えたこの感情をどうにもできなかったので一旦この高まりを発散しました。きっとあの瞬間、日本全国で思考回路がショート寸前になったひとが多発したことだと思う。ほんとにまったくもう、おかげさまで泣きたくなるようなムーンライトすぎる夜を過ごしてしまい、まったく眠れないまま今に至ってしまった。
(参考:ムーンライト伝説 DALI - 歌詞タイム

 

 

先週の放送で、牧と春田の別れ話に部長と春田の同棲と、導火線に火が付いた状態の爆弾を置き土産にされたような気持ちになっていた。その状態で待った一週間は、信じられないくらいに長くて早かった。

6月2日23時15分、待ちに待ったような、まったくもって来てほしくなかったような時間がきた。あんなに真剣にテレビの前にかしこまったのはいつ以来だろう、初めてかもしれない、どうしようもない気持ちでテレビの前で待っていた。おっさんずラブの最終回が始まった。

 

 

始まった最終回は、みんながみんな優しかった。優しすぎた。

 

あんなにも純粋に幸せをかみしめていたはずの部長は、結局「はるたんのため」に身を引いた。「何年お前の上司やってると思ってるんだ」と、何もかものお膳立てまでしてから身を引いた。

挙式中の誓いの言葉で部長がやけに大声だったのは、はるたんの「誓います」という”嘘”が神様に聞こえてしまわないよう、わざと遮った風にさえ思えた。だって、春田はこれまでのモノローグの台詞で、「神様、」と素直な気持ちを話していた。そんな彼が神様に"嘘"をつく声を、部長が掻き消してくれたんじゃないだろうか。

 

ところで春田の上海転勤が決まった後、部長が練習していた中国語は、「ありがとうございますとても助かりました。シャーシャーノン、パンラドゥーマンラ。」、中国語表記は「谢谢侬、帮了大忙了。」だった。(だと思います…!)

 中国の標準語での「ありがとうございます」は【シエシエニー】、部長の話す【シャーシャーノン】は、上海の方言だ。

あのシーンの部長は、楽しそうに上海に行く準備をしていた。

そして続きの「ハルタン、マンラ。ハルタン。」は、おそらくだけど、この練習していたフレーズに含まれる単語、「忙了(Mángle マンラ)=忙しい」じゃないかなと思う。

もしかして、楽しそうな笑顔で練習してたこのフレーズは、「新プロジェクトでバリバリ働くはるたん」を浮かべての「忙了(マンラ)」だったのかなあと、コメディの筈のこのシーンも、最終的な結末を知って観返すと少し切なくなる。

はああ…いやもう本当に、みんながみんなに幸せになってほしすぎて何度観たってわたしの心がマンラでしかない。忙しすぎる。幸せになってほしい以外の語彙を失う。

※中国語、詳しい方がいらっしゃればぜひ上記内容についてご指導いただきたいです

 

一方で武川主任は、春田に牧の本心を匂わせた。完全に、敵に塩を送っていた。

そのうえで牧には、

「お前がそうやっていつまでも春田と向き合わないから、俺はお前を諦めきれない」

「相手の幸せのためなら自分は引いてもいいとか、どっかのラブソングかよ」

「そんな綺麗事じゃねえだろ、恋愛って」

と矢継ぎ早に投げつけた。

こう言って牧の気持ちに発破をかけてくれた武川主任こそ、まるでどっかのラブソングだ。

「俺が牧がいなきゃ駄目なんだ」と膝をついてまで春田に叫んだくせに、風邪で休む牧に何十キロにもなるだろう差し入れ抱えて会いに行ったくせに、春田に発破をかけて、牧にも発破をかけて、全部が結局、自分のことより牧の幸せを祈ったそれだ。

 

そんな部長と武川主任の屋上でのラストシーンでは、ひどく優しくて暖かい会話をして、部長が武川主任にまるで「何かあるかのような」素振りで手を重ねてみせ、それから、明らかに冗談だとわかるように笑っていた。

でも、武川主任は、 セクシャリティのことはオープンにしてないはずだ。

それなのにあんなに和やかに笑い合えること、あのシーンは、本当はすべてに気づいている部長が、どこか一線を引いて生きている武川主任に対して投げた優しさなのかもしれない。これも「何年上司やってると思ってるんだ」ってやつだったりしたら、やっぱり最高に格好良い。

 

 

ちずちゃんはちずちゃんで、「あのさ、もういい加減、ちゃんと応援させてよ。」と春田に話した。1年前とはいえ告白してきた相手に、結婚の相談をして、悩んだ様子でぐだついて、本来ならほんとマジデリカシー春田1000000%だ。

でもちずちゃんはそのうえで、牧に優しい言葉をかけに行ってくれた。

 

ちずちゃんが「つらいんでしょ」と牧に言ってくれた。

ちずちゃんが、「私は、つらかったよ」と言ってくれた。

だから、あの牧が「つれえ。」と言ってくれた。

そのあと川に向かって叫ぶ牧の笑顔は、この7話で一番すっきりした明るい笑顔だった。

もうこのあたりは画面が曇って見えなかった。声を挙げて泣いてしまってなんならちょっとセリフ聞こえなかった危なかった。もう滝のように涙が流れた。だって、春田さんに強い言葉だけを投げつけて本音を隠して離れた牧が、全力でただただ本音をぶつけて心が軽くなったかのように笑顔になっていた。

好きだから別れた、と即答した牧の「本当に好きな人には幸せになってもらいたい」には、強さも弱さもパンパンに詰まってたと思う。

「春田さんに幸せになってほしい」と本気で思える強さと、自分が相手ではそうならないと思ってしまっている弱さ、そして、だから傷つく前にと自分から傷つけ傷つきにいってしまった弱さ、そういうものを一旦何もかも抜きにして叫んでいるように見えたあのシーンは、本当に本当に、ただただ素敵だった。

 

 

最終話が始まってすぐ、「気晴らしに合コンに行って寝坊した」春田が遅刻でオフィスに駆け込んだ朝、頭を下げる春田に注目していたオフィスのメンバーは数秒ですっと視線を戻した。

でも牧だけは、最後までひとり振り返って春田を見つめていた。何かを思う顔をして、一番長く後ろを向いていた。

そして、ほんの一瞬しか映らなかったけれど、その牧を、武川主任がそっと見ていた。

でも、春田は目を伏せていた。一人では朝起きることもできない春田が、「気付いたら、こんな、時間で」と所在なげにしていた。

あのときのオフィスには、たくさんの矢印が、ひとつも向き合うことなく宙に浮いていた。

まるで「どっかのラブソング」が大音量で響いているみたいだった。

 

 

部長も主任もちずも牧も、「自分の想いの成就だけでは幸せとは呼べない」「相手の幸せが自分の幸せ」「相手のためなら自分は引く」、そんな臆病で優しすぎる恋の集まりだった。見事なまでに「どっかのラブソング」だった。

春田を除いて。

 

春田だけは、「そんな優しすぎる想いをどれひとつ無下にできない」、真っ直ぐすぎる優しさの持ち主だった。

だから、その実直な優しさだけだけを握りしめて、ぶつかり合ったみんなのラブソングを全部抱えて、みんなの「誰かの幸せを願った想い」を全部全部背負って、誰の優しさも誰の想いも無駄にしないよう、「俺の幸せを勝手に決めるな」と、最後の最後にド級にまっすぐな言葉を投げてくれた。最高に、最高のヒーローだった。

 

牧の名前を何度も呼んで、飾らない言葉を全力で叫んで、ボロボロの服装でドタバタと走ってジタバタと抱き締めて、ぽんこつな素のままの春田が、真っ直ぐに牧に向けられていた。

春田の「結婚してください」に、牧が返した言葉は泣きながらの「ただいま」だった。

牧は、春田のところに帰ってきた。出かけていた先から、帰ってきた。牧にとって、彼の心が「さよなら」をして春田から本当に離れた時間なんて無かったたんだと思った。

 

 

他にも、この物語を見届けたみんなと話したことがいっぱいいっぱいある。

すぐ課金しちゃうマイマイめっちゃわかるわたしたちヲタクはそうやって生きてるよねとか蝶子さんめっちゃわかる年下からはあえてさん付けのままのほうがグッと萌えるたまに出るタメ語こそ至高ですよねとか「できるだけまわりませんか」って牧くんちょっとでも一緒にいたかったんじゃないのうわあああああそのシーンからの武川主任本当にもうつらい胸が痛いところで春田ほんと足長いイイ身体してるタキシードダッシュのシーン頭身が良すぎて逆に気が散ります好きです、とか。

あと、上海へ発つ前の春田の挨拶が「少しでも多くのことをこの営業所に持って帰ってこれるように精一杯頑張ってきます」だったことは、制作側の皆さまがわたしたち視聴者へ投げてくださった最高の優しさだと受け取ってる。だって春田が完全転勤じゃなくて帰ってくるんだよプロジェクトを終えたら帰ってくるのがわかってる挨拶なんだよ良かった永遠に離れ離れの牧と春田なんて居なかった本当にありがとうございます!!!!!!!!!!!!

 

これからまたたくさん見返して、その都度まわりのみんなとこうして共有したくなるんだと思う。だって!いろいろ発売もされますし!!!!!!(ちなみにBlu-ray BOXクレジット決済にて早速課金完了しました発売本当におめでとうございますありがとうございますありがとうございます。)

取り急ぎ我々には、「ハルタを下の名前だと思い込んでいたマロがこれまで"ハルタさん"と呼んでいる様子ヒストリー」を第1話から確認するミッションが課されている。マジかよマロ。逆に下の名前だと思ってたのに「ハルタさん!」って気軽に呼べるそのポップさこそジェラるわ。

 

おっさんずラブにはジェットコースターのようにたくさんの感情を体感させてもらって、話し始めたら止まらないけれど、わたしの今日が終わらないうちに、絶対に文字に起こして残しておきたい一番の気持ちははっきりしている。

春田さんと牧に、ハッピーエンドが来て本当に良かった。

 

フラッシュモブでプロポーズを受けたときの春田の服は、すっかりダサい中学生春田に戻っていた。

牧が戻ってきた家で荷造りをする春田はスーツだったけれど、あの時じゃれ合って投げ合った服たちが、これからまた牧のセンスでおしゃれになっていくのかもしれない。

ふたりで紡いでいく日が、1年の空白のおかげで育っていく部分もあるのかもしれない。

部長と暮らして「自分のことを自分でできるようになった」春田が、もしかしたら牧と一緒に冷蔵庫を覗く日が来るかもしれない。

その時に、「牧のメモが出てきた日があった」と話をしてみてほしいなんて思う。

だって、きっと、冷蔵庫に入ったままだったあのメモを、部長が見つけなかったはずがない。あのメモは、同じく純粋に春田を想う部長には捨てられなかった、牧の想いの欠片みたいだった。

それが、奇跡みたいなタイミングで春田の手元に舞い落ちたことを、照れながらでも良いから牧に話してほしい。

そしたらきっと、次の日の牧は美味しいカレーを作ってくれそうな気がしちゃう。

そしたら今度は、本当はあの日公園で、2時間ずっと待ってたことも話してみてほしい。

まるでよくできたドラマみたいに入れ違ってしまっていたことを知って、笑ったりちょっと泣いたりしていてほしい。

可能ならば、そんなふたりをこれからも観たい。

 

ほんの数日前にこんな感想記事を書いたけれど、「創一」と呼びかける牧の姿をまだ見ていない。

最後のシーンではお互いに「牧」とも「春田さん」とも呼ばなかった。

そんなふたりがきらっきらのひだまりの中であんな幸せそうにじゃれ合う姿を見せられたら、2週間だけのはずだったわたしの彼らへの恋が、延長戦を望んでしまう。

 

誰のことも不幸にはしなかった最高のラブストーリーに、続きがあってほしいです。

天空不動産とわんだほうのみんなと、また笑って泣いてクッションを抱きしめながらじたばたする土曜の夜を過ごしたいです。

本当に本当にありがとうございました。

たくさんのラブソングが詰まった、最高に優しいラブストーリーでした。

 

(追伸)

最後にひとつだけ、どうしても言わなきゃと思ったことを聞いてください。

今日まで、「牧春最高」「牧春尊い」「牧春に幸せになってほしい」、なんて言っててごめんなさい。

 

ラスト1分、わたしの中で「牧春牧」に答えは出せなかったです。

恋の次が愛だと、勝手に思ってしまった

こんなツイートをした。

(当該イベントの詳細はリンク先の記事、もしくは「企画メシ」で検索ください。記事を読むだけでもとても勉強になりました。)

 

そして、こんなツイートもした。

 

そしてなんだかふと思った。

春田くんにはもしかして、恋する前に愛が生まれかけてたのかなあと。

 

わたしは勝手に「恋が生まれて愛に育つ」と思っていたけれど、春田くんのなかでは、もう愛が育っていたのかも、と。

 

牧くんが好きなのかと聞かれて「まぁ、うん」と微笑むこと、牧と一緒に居ることは恥ずかしいことじゃない、と言い切ること、これは相手に何かを求める「ときめき」ではなくて、自然にふたりで空気感を紡いでいくようなもっと穏やかな想いが生まれていたんじゃないかと思えてきた。

友情から恋情を飛び越して愛だなんて、これまですべての好意に真っ直ぐに真っ直ぐに返してきた春田くんの「らしさ」が詰まりに詰まっている気がする。

 

春田くんにとっては相手がただそこにスッと居てくれることが、水を飲んで生きることのように良い意味で当たり前でそして必須で、居てくれることそれ自体が大切で。

 

その一方で牧くんにとってこれは衝動とともに生まれた恋で、愛されることやかたちが変わること、何かしらの形で相手になにかを求めてしまって、でも圧倒的な自己否定感からそれが「相手の幸せではない」と結論付けてしまって。

 

そんな互い違いの想いが、あの日のふたりの涙を招いたのかななんて思った。

 

はああああああああ!!!!!つらい!!!!!!!超つらい!!!!!!!!!話して!!!!!!!!!!2人で話して!!!!!!!!!!!!!!!!お願いします!!!!!!!!!!!!!!!

目を見て、目を見られて、話をしてほしい、たくさんたくさん、話してほしい。

欲を言えばそれをSPドラマで放映してくださいお願いします。その気持ちを込めてまずは円盤買います。(DVD/BD化おめでとうございますありがとうございますありがとうございます!!!!!)

 

最終回まで、あと数時間のおっさんずラブ

それなりに歳を重ねてそれなりに恋をして生きてきたおっさんたちとその周りのみんなのラブが、恋や愛やの一文字じゃ済まない、いろんな形のハッピーで終わってほしいと心から思う。

 

だって!おっさんずラブの!!みんな!!!みんなが!!!!!1人残らず大好きなんです!!!!!!

音楽はすべて「オリコン」の中だった

音楽はすべてオリコンの中だった。

 

わたしが中高生のころはツイッターなんてなくて、18歳以上になれば招待制でmixiに入れた。SNSなんてはじまりのはじまりだった。

だから、情報の入り口はいつもテレビだった。テレビに映る世界が「芸の世界」だった。

 

それでもオリコンには常々アジカンバンプが割り込んできていた。幸せな時代だ。

カラオケではいつもシンクロを邪魔するザリガニのMVを見ていたし、雪道に足跡つけてく歌詞画像を待ち受けにしていたし、机や下敷きに好きな歌詞を書き連ねて授業を乗り越えたりしていた。

 

きっかけの日は覚えてない。けどそんな日々を過ごしている中で、同級生が1枚のCDを貸してくれた。「ロックが好きなら」と。

その子は少しおとなしめの子で、少し意外だなと思った。けど、そんな子がおすすめだよってロックバンドのCDを貸してくれたことが凄く嬉しかった。

 

それが、ELLEGARDENのBRING YOUR BOARD!!だった。

 

そこからは早かった。だって、めっちゃくちゃに格好良かった。

「音楽=テレビで見るオリコンランキング」しか知らなかったわたしにとって、その外側は知らないことだらけだった。

お小遣いで一気にCDを買うなんてできなかったから、近所のレンタルCDショップに行って「ELLEGARDEN」と書いてあるCDをとりあえずあるだけ全部借りた。

最初は彼らが日本人なのか外国人なのかもわからなかった。

全員日本人だと知ってからは「日本人なのに全部英語で歌ってる曲がこんなにあるのか、すごいなあ」と思った。だって少し前までわたしの「音楽」のすべてだった「テレビで流れる日本の歌手の歌」は、全英語詞なんてめったに無かった。

 

そして、その「全部英語」の歌詞が、まったく理解できなくてすごく悔しいなと思った。

「”Wannabies”ってなんなの、ジーニアス英語辞典に載ってないじゃんか」と思った。

それから英語を勉強した。わかることが増えるのは嬉しくて、ELLEGARDENの奏でる音楽の意味が分かるのが嬉しくて、気が付いたら英語の教員免許も持っていた。

教育実習に行った時には、担当の先生に「あなたの発音、どこか少しクセがあるんだけど、どこに留学した?」と言われた。

わたしは留学をしたことが無かった。わたしが一番聴いてきた英語は細美武士の歌う英語だった。何の自覚も無かったけれど、わたしが「クセがある」と言われた箇所は、面白いくらいに全部「細美武士の歌いグセ」だった。

 

だけど、その時にはもうELLEGARDENは歩みを休めていた。

わたしは彼らに会えないままだった。

 

それでも、彼らのおかげで「テレビの外側にある音楽」を知ったわたしは、色んな音楽に出会えた。日本全国に友人ができたし、引っ越した街にも仲間ができたし、気が付いたらまさかのDIYで野外音楽フェスを開催していた。人生どこでどうなるかわからない。

 

大学を卒業して社会人になった頃には、MONOEYESが生まれた。

ある日たまたまBa.スコット・マーフィー氏と一瞬だけ英語で話したとき、「発音綺麗だね、どこの国で勉強したの?」と言ってくれた。

少しだけ既視感のある質問に、「留学したことないです、日本(で勉強した)。」と答えた。

わたしは、「細美さんの曲で勉強したんです、 "Wannabies"の意味すらわからなかったのが悔しかったから。」と笑った。

すると、スコットは「一緒にツアーまわってた、懐かしい。」と言ってそのまま少しエルレの曲を口ずさんでいた。

 

それからまた数年が経って、2018年5月10日の夕方、そのスコットのツイートを見た。ELLEGARDENが、帰ってくることを知った。

 

その日、本当は友人と映画を見に行くはずだったのに、「ごめん、映画見てる場合じゃなくなった」とドタキャンしてしまった。ドタキャンしたうえで、「ELLEGARDENが帰ってきた」「ねえ、お酒が飲みたい乾杯したい」と我儘をきいてもらった。

遠くの街に住む、音楽を大好きになったおかげで出会えたひとからも、「仕事なんてやめて飲みに来た」と連絡が入った。あの頃には無かったTwitterでも、たくさんの人が浮足立って乾杯していた。

あんなにも「祝杯をあげる」という言葉が似合う日を過ごしたのは初めてだった。

 

昔々のわたしにとって、音楽はすべて「オリコン」の中だった。もっと言えば、「テレビでたくさん見るひとたち」だけだった。

初めてその外に踏み出したとき、全然知らない、わけのわからない、でもべらぼうに格好良い世界が待っていた。

 

そのスタートになった音楽を直接感じられないまま今日まで来た。

10年経って、そのチャンスが来た。

「全員笑顔にすっかんな:-)」なんてセリフ引っ提げて、チャンスと感動が襲ってきた。

 

もう笑顔だ。

でももう泣き顔だ。

楽しみなんて言葉じゃ消化しきれない、10年に比べれば、8月なんて目の前だ。

 

 

【2018/6/1 13:00追記】

チケットはずれました!心臓痛すぎるけど頑張ります!

【2018/7/3 13:00追記】

最終先行もチケットはずれました!心が痛い!つらい!でもELLEGARDENが帰ってきたときの気持ち思い出して頑張ります!

2週間だけの恋をしてしまった。牧春に。だから「春田さん」が溶けてほしい。

【5/28 23:00】

■修正前タイトル【2週間だけの恋をしてしまった。牧春に。だから「春田さん」には消えてほしい。】の表現に関しまして

わたしの文章表現が拙く、誤解を招いてしまいましたこと、および一部の方に不快な想いを抱かせてしまいましたことをお詫びいたします。

第6話の感想として、牧の気遣いと心的距離感から「春田さん」と呼ばなければならない関係性が、牧のその心のバリアとともに「消えて」ほしい、という想いで書いた題名および文章でした。ですが、わたしの言葉選びの悪さからご迷惑をおかけしました。

間違いなく端から端まで大好きな作品です。インターネット上に公開する以上、しっかりと作品および関係する方々へ敬意の伝わる文章となるよう、今後とも留意、精進してまいります。

 

 

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先週末、「おっさんずラブ」をイッキ見した。

ツイッター上で毎週あまりに大盛り上がりしていたので、「なんだか面白そうだな」とふと思い立ち、録画だけはしてあった第1話を見始めた。

 

「しまった…」の一言だった。

何となくで見始めてしまったこともほとんどネタバレを受けないまま見進めたこともそして第1話を23時に再生開始したことも、すべてが戦略ミスだった。

気が付けば外は明るくて、そこには第1〜5話までを見終えたそのままの身体で会社に行かなければならないわたしがいた。

そして何より、牧くんと春田くんのカップル「牧春」に恋してしまったわたしがいた。幸せになってほしい。なんとしてもこの2人に幸せになってほしい。

なのに、6月2日にはおっさんずラブ最終回が来てしまう。牧春に恋するのが遅すぎた。この恋は始まってたった2週間で終わりが来てしまう。

 

牧春への恋が始まって1週間経った昨日5月26日、初めてリアルタイムでおっさんずラブを見た。

40分間がジェットコースターのようで、笑ったり驚いたりニヤけたり少し切なくなったり…で終われていたならまだ良かった、最後の別れ話でもう撃沈。ジェットコースターが全力スピードのまま地下まで行った。たぶん都営地下鉄大江戸線より深くまで行った。

 

ハアアアアアアアアアア無理無理無理無理!もう無理ああ無理〜〜〜〜〜!!!!!!日々の生活に疲れてるアラサーはもうハッピーエンド以外見られない、ハッピーエンドしか受け付けられない、推しの悲しい顔を見たくない、バッドエンドアンドサッドストーリーアレルギーアーユーオーケー????!!!!みたいな感じ、マロくんの言葉を借りるならわたし史上空前の牧春ブームきてんすよ!!!!!!!!その牧も春も泣いてるんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!というか本音は部長もちずちゃんも蝶子さんもみんな幸せになってほしいのにどうしよこれ!!!!!!!!!!地球終わりかねない悲劇!!!!!!!!!!!!

 

そんな第6話、本当に本当に何から何までまでアレがアレだった。語彙力が爆散した。散らばった語彙力を一生懸命拾い集めて文章にしたら、軽く数千文字のこの記事になった。

 

まず、気が付けばわたしには牧アンテナが備わってた。きっとドラマスタートから追ってる皆様にはとっくに装備されてる機能なんだと思う。

視聴者の150%に装備されている(推計)、「周りのこと春田さんのことを一番に考えて自分は我慢して一歩引き下がる瞬間の牧の顔」にピコーーーーーンと反応するアンテナ、略して牧アンテナ。

牧アンテナがバリッバリに反応しまくった第6話、今の春田くんには牧くんのこと預けきれない預けたいのに預けきれない春田くん春田くん…!!!!!なんて気持ちになった。

 

ジェットコースターの途中にはもちろん、ここから恋や愛に繋がるのかなと思う幸せのかけらみたいなシーンはたくさんあって。

たとえば冷蔵庫にサラダがあることを春田に伝えたあとで、「俺も腹減ったんで一緒に食べようかな」と言って台所へ降りてきた牧。
お腹を撫でる仕草含めて少しわざとらしかったのは、押し掛け元カレ武川が置いてった差し入れが春田に見つかってしまうと気付いて、台所へ向かうとりあえずの理由付けだったからだと思うけど(ところで、あんなにも自然に"演技に見える演技"ができる林遣都くんの演技力が本当凄すぎて圧倒されました…)、そもそも気配りハイパーマンの牧が、要冷蔵の差し入れでもないのに全部冷蔵庫に入れてるあたり、普段の春田は冷蔵庫すらそんなに触らないんだろうな、と。

 

もうどんだけ家事しないんだよ春田って気持ちだよね、どんだけ牧に台所を預けきってるの。

牧は牧で、飄々としてたくせに実家に行って妹に「今回は本気なんだね」と言われた時だけ突然まごついて黙り込むし。

スーツ以外は中学生みたいな服着てた春田が、牧実家に訪問するときにはきれいめな白シャツと水色ジャケットなんて着ちゃって、横に座ってる牧が着てるのは白Tシャツに水色カーディガンで。

なんだそれ、わたしはそういうのを「幸せ」と呼ぶって広辞苑で読んだ気がする。読んだ。読めないならわたしが書き足しとく。もう法律で決まった。

 

その一方で、春田は、健気にそばにいてくれて色んな面倒事を引き受けてその上で真っ直ぐに好意を向けてくれる牧のその気持ちに、心地よくなってしまって手放せなくなってしまってる「だけ」なのかもしれないと思ってしまう。

もしかしたら恋や愛やなんてものの始まりはそれで充分なのかもしれないけど、「春田さんの生きる道を変えてしまうかもしれない」牧からしたら、充分に苦しいんじゃないだろうか。

牧が別れを切り出したとき、春田は自分のダメなところを変える、と泣いて食い下がったけれど、牧にとってはもう「自分のために春田さんが変わろうとしてる」ではなく「自分のせいで春田さんを変えてしまう」ことが怖かったんじゃないかな、とさえ思った。

傍目には「若くてイケメンでフレッシュで仕事も出来る牧」が、病み上がりにちずと会ったとき「晩ご飯作らないといけないんで」と話すこと、まるでそれが「春田さんのそばにいるために必要なこと」のようで、続けて「俺なんて、欠陥だらけですから」と話すこと、別れ話でも「忘れてください、俺のこと"なんか"」ということ、その健気さ自信のなさに胸が痛くなる。

そんな中、「(牧母が作った)メシ超美味かったしさ、つうか、牧の作るメシと全く同じ味するからびっくりしたんだけど」なんて、牧が春田のために毎日作ってるご飯が「超美味い」って事なんだよ「味覚えてる」ってことなんだよ、そんなの色んな気持ちで一気に洪水起きちゃうよね。もう心内救急大集合。あの会話を、牧がなんの曇りもなく幸せに受け取っててほしい。お願い。そうであってお願いわたし神に掛け合うくらいのことは頑張る。

 

ところで、押し掛けてきた元カレ武川には咄嗟に「やめろよ政宗!」と叫んだ牧。昔の恋人のことは例え年上でも「政宗」と下の名前で呼んでたということで。

それを知ってしまうと、牧のあの健気でどうしようもない一途さは、「春田さん」という呼び方に詰まってるように思う。

牧が自分の幸せより相手の幸せを願ってしまうその性分で、常に相手への気遣いを続けてしまうある種の心的バリアが、「春田さん」という呼び方にきゅっと詰まってるように思う。

だから、牧にそんな気遣いをさせ続けてしまう「春田さん」は昇華されてほしい。牧の横に今の「春田さん」がいる限り牧はずっとずっとあの一歩引いて我慢する顔をしなきゃいけない。ずっと牧アンテナが反応しっぱなしの生活が続いてく。そんなのそれこそ武川さんが危惧した日々だ。

だから、牧が「春田さん」と呼ぶ関係は牧の心のバリアとともに綺麗に溶けて昇華されてほしいと思う。牧が気遣わずに気負わずに「創一」と一緒にいられる関係になってほしい。

 

ちずちゃんに「春田のことが好きなんだってば」と言われて「えっ、だってお前さ、えっ、そんなの俺だって…」と返してしまう春田さん、泣いてるちずちゃんを思わず抱き寄せる春田さん、家に帰ってちょっと気まずそうだけど何も上手く言えない春田さん。

「春田さんは、本当に俺で良いんですか、相手が俺で。」と牧に聞かれたとき、

「いや…いいよ、それは」と返した春田さん。

この会話のあと一緒に牧実家へ行ったけれど、ここで「牧が良い」と返せるほどの感情が春田の中にない限り、やっぱり牧にとっては「春田さん」のままなんじゃないかと思う。

「春田さん」にとって自分はまだキスの後に咄嗟に突き飛ばされてしまう距離感にいる恋人で、ちずちゃんは、弱ったとき真っ直ぐ抱き寄せてもらえる幼なじみ。

牧は毎日春田好みの食事を作るけれど、春田はきっと、牧の好物のゼリーを知らない。

だから、実家帰りに「結局俺、自分が安心したかっただけですね。」とこぼした牧が、ちずちゃんを抱きしめる春田を見たあと「結局、幸せじゃないんですよ。春田さんと一緒に居ても、苦しいことばっかりです。」とあんなに苦しそうな表情で言うことになるんだと思う。

だって、きっとそれが「春田さん」のためだから。

 

だけど、決して「春田なにしてんだよ」なんて言いたいわけじゃない。

牧からの突然のキスに動揺しながら「お前…う、うつったらどうすんだよ!」と言った春田に対して、「人にうつすと治るって言うじゃないすか。」と返した瞬間の牧はほんの少しだけ楽しそうに笑ってた。

だってね、あんな動揺したのに「風邪がうつったら」って台詞が出たんだよ。「何すんだよ」とは言わなかったんだよ。例えそれがまだ"咄嗟の気遣い"なのだとしても、春田がちゃんと牧のほうに気持ちを向けてるからこそ咄嗟に出る言葉にこれを選べてるんだよ。

つい少し前にはちずちゃんの「男も女も関係ない!」って台詞に「いやあるだろ。」って返してた春田が、今回マロくんに「年齢も性別も関係ない」と言われたときには「まぁ…うん」と返してる。そんな春田が牧を真っ直ぐ見ながら返した「いや…いいよ、それは」が、大きな変化だったことはきっと違いない。

 

春田はいつでも目の前のことのために真っ直ぐで全力で、牧はいつでも少し先のことのために慎重で丁寧だ。
春田は目の前を見ていて、牧は少し先を見ているから、お互いの見えているものが少し違うのかもなと思う。だけど、きっと見ている方向は同じだと思いたい。 だってわたしはすっかり牧春に恋してしまった。2人に絶対に幸せになってほしい。幸せになってくれなきゃ6月3日以降のわたしは牧春幸福論ゾンビになってしまう。

春田くんお願い早く仕様変更してアップデートして牧アンテナ装備して!!!!!!!いやちがう鈍感ボーイは早く自分が「真っ直ぐ相手を見てる」と思ってるその目線を少しだけずらしてみて!!!!お願い!!!!!!!!!!

そしてあんなに全部がこもった「春田さんのこと好きじゃないです」を全デリートできるだけのアップデートをしてくださいお願いします!!!!!!!!!

 

1週間後に牧春の恋が実ることが、わたしの恋の成就で昇華です。ハッピーエンド症候群のアラサーヲタクのゴールです。

春田さんなんて呼ばせないで、幸せになって幸せにしてよ、牧と創一で笑っててよ。きっとその笑顔を世界69億9,999万9,997人が待ってると思います。少なくとも、わたしは渇望しています。

わたしの牧アンテナがゆっくりと役目を終えられますように。

 

(最後に)

1年後として最後に入ったシーン、仰向けで寝るはるたんが飛び起きてダッシュで階段を駆け降りて部長に笑顔で挨拶を返すけど、牧が以前あげた「春田さんのダメなところ10個」のうちふたつは「うつ伏せで寝る」と「朝不機嫌」。はるたんがまだ素にはなれていないような、そんな何かのキーだったりしないかな…

 

「可愛いね」のカードゲーム

「可愛いね」はワイルドカードだ。

ここぞというときまで大事にしたい派*1と、いけいけどんどん使ってしまえ派と、ただ素直に「あ、今だ~」と思うから使う派と、性格次第で使いどころが違う。

けれど、ワイルドカード「可愛いね」が上の句として読み上げられたとき、皆一様に急いで「そんなことないよ」の下の句札を取りに行く。

なぜならそれは本心だったり謙遜だったり、恥ずかしさからだったり、もしくは「そんなことないよ」の札を取っていないと「アイツ自分のこと可愛いと思ってる」トラップカードが発動するのではと先を読んだ末だったりもする。

若い頃*2は、みんなと同じカードゲームを遊ぶには、上の句「可愛いね」には下の句「そんなことない」が続くルールが世界共通だと、勝手に信じ切っていた。

だからきっと、「可愛いね」は、化けの皮を剥がすと時に呪詛札だ。

こんな高度な心理戦を伴うミクスチャーカードゲーム、誰か早く焼き払ってほしい。

 

特に世界の狭い思春期*3に「可愛い」は呪いだ。呪いだった。

表で「可愛いね」のカードを切るくせに、裏でカードを逆さにして笑うひとを遠巻きにたくさん見た。遠巻きでも見えるくらいだ、近寄ればきっと、あてられてしまうほどの癪気だったろう。

そして、わたしはできるだけ、この可愛いねのカードゲームには参加しないようにしていた。

 

だからわたしは、わたしの発した「可愛いね」を、まっすぐ「ありがとう!」と受け止めてもらえた日のことを、きっと一生忘れない。 

 

はるか昔、小学校6年生の頃、地域を横断した子ども会イベント*4が開催された。

そこで仲良くなった女の子と一緒に遊んでいると、その子がふと、「あ!」と大きく手を振った。

手を振った先には、ちょうど同じ年か少し上ぐらいの、それはもう、それはもう可愛らしい女の子がいた。そしてこちらへ寄ってきたあまりにも可愛い女の子*5を指しつつ、友達だと紹介してくれた

 

彼女と目が合った瞬間、わたしが発した言葉は、

「可愛いね」だった。

すると、返ってきたのは

「ありがとう!」と、極上の笑顔*6

 

可愛いと思ったから、可愛いねと言った。
(というより最早、口を衝いて出た言葉だった。)

お世辞でも何でもなく、そこに他意は何も無かったのだけれど、「ありがとう!」とまっすぐ受け止めてもらえたことが12歳には衝撃だった。

そして、その強さと自信が格好良いと思った。

  

その数か月後、彼女はアイドルになった。

比喩でも何でもない。その文字通り、画面の向こうであの極上の笑顔*7を振りまく女の子になった。

きっと日本に知らない人はいないだろう、押しも押されぬスーパーアイドルだ。

 

それからずっと、彼女は「画面の向こうの人」として「可愛い」仕事を続けていた。

勝手な想定にすぎないけれど、きっと沢山の呪詛札としての「可愛い」を押し付けられた日もあったはずだと思う。

彼女は清濁併せ飲み、ただひたすらに「可愛い」を生きていた。 

そして今は、そのすべてを乗り越えたかのように「圧倒的可愛い」を生きている。

 

あの日から暫く経った今、あの日のわたしが「強さと自信」だと思った笑顔の「ありがとう!」は、もしかするとある種の優しさだったかもしれないとも思う。

他人の好意をしっかり受け取ることは、きっと間違いなく優しさだ。

彼女はあの日、わたしが投げかけた「可愛いね」という言葉をきちんと受取り、「ありがとう!」と返歌をくれた。

 

今もメディアを通じて彼女を見かける*8度に、ふと「可愛いね」という言葉の魔力を思う。

たった5文字のはずなのに、なんだか勝手に、この5文字にだけは特別に色んなトラップが仕掛けられているのではないかと思ってしまう日々があった。

できれば、わたしがこれからも生きる場所では、「可愛いね」の言葉には意味は広範であれど純粋に好意だけが詰め込まれて、そしてただただ素敵なお守り札として目の前の相手に出荷される世界であってほしい。

少なくともわたしはそんな好意だけを込めて出荷するから、まわりのみんなにはもっと可愛い笑顔になってほしい。

「ありがとう!」と笑顔の返歌で、はいみんなハッピー!な世界であってほしい。

 

あともうひとつ、できれば誰かがわたしに「可愛いね、付き合って?」を切り札として使ってくれる世界でもあってほしいので、何とぞよろしくお願いします。

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*1:そして時期を逃す

*2:メールのタイトルにRe:Re:が増えるのを喜んでいた年齢

*3:メールのセンター問合せで一喜一憂していた年齢

*4:小学生が集まってわいわいがやがやする、今思えば大人たちが大変な会

*5:あまりにも可愛い

*6:あまりにも可愛かった

*7:あまりにも可愛い

*8:なのでこの記事は色々が諸々色々なので色々を諸々アレしています。おとぎ話として読んでください。